つくりばなし

ある温泉のこと

その温泉の売りは

どんな疲れも吹き飛ぶ事だと聞いてきたが、

私以外の客は見あたらなかった。

粗末な脱衣所の設けられた小屋が

ちんまりと

申し訳なさそうに傾いて建っている他は

庭の池の様な小さな温泉が有るだけで、

管理する人なども見あたらない。

人づてに聞きながら

方々を探しあぐねて、

日も暮れかけた頃、

私はようやく、湯にありつくことが出来たのだ。

乳白色のぬるめのお湯は

掛け流しで

いくらつかっていてものぼせる事など

無い様に感じられた。

深い山の中にひっそりと有るその温泉は

その時ばかりは私だけの

粗末で贅沢な温泉で、

誰にも気がつかれないで居る事が

許されている様な、

なんとも誇らしい気持ちになった。

秋も深まり、冬の足音が聞こえ始める

この季節、

夕日に照らされる広葉樹は

いよいよ色を増していた。

こんこんと湧き出る豊かなお湯は

少し冷えた空気を

白く、もっ、と包み込んだ。

そのとき、

背後にごそと何かの動く気配を感じ、

私はびくりと

振り向いた。

そこに現れたのは

大きな熊だった。

「いやー、すみません、すみません、

 ご一緒させていただきますねぇ。

 いやぁ、寒くなったもんだ」

誰にでも無く、いや、それは私に語りかけると、

丁寧にかけ湯をして、

ほっほっ、といいながら湯に浸かった。

ざぶぶぅっと、熊の体分、湯が流れ出ると、

辺り一面、真っ白に湯気が充満した。

また、しばらくすると、

傾いた小屋の中から

顔を真っ赤にした猿がひょっこりと顔を出した。

「いえいえ、別に酔っぱらってるわけじゃないんですよ。

 へぇ、大丈夫、大丈夫」

などと言いながら、

ひょいひょいとこちらに千鳥足でやってきた。

そのまま、頭からダブンと半ば転げ落ちる様に湯に飛び込むと、

私の顔を見て、恥ずかしそうにはにかんだ。

ちらと熊を見やると、少し嫌そうな顔をしていたが、

私が見ている事に気がつくと、

困ったように笑い返した。

「ちょっと、ちょっと、お父さん、

 他の方に失礼じゃない」

同じように顔を赤くした猿が、飛び出してきた。

「本当にすみませんねぇ。

 うちの人、弱いくせについ飲み過ぎてしまって、

 今日は、娘の結婚式だったんです」

そう、いいわけをしながら、少し誇らしげに

猿の奥さんは足先からゆっくりと湯に入り、

猿の旦那さんを説教し始めた。

「どうも、ご迷惑を、へへ」

猿の旦那さんは、奥さんの説教が身にしみたのか、

所在なさ気に頭をかきながら、へこへこと私と熊に頭を下げた。

その時の奥さんの顔はなんとも誇らしげだったのが、

少しおかしかった。

またしばらくすると、

白い煙の中から、

白い狐がぬっと現れた。

すらりとした姿が、とても美しく、

思わず、私は目を奪われた。

「あら、珍しい、人間が温泉に来るなんて」

私が狐に目を奪われている事に、狐は気がついていた様だった。

何とも妖艶に笑いながら、

「こちらには、お一人で」

と、私に問うて、

するりと、私の隣に腰を掛けた。

滑り込むようであった。

湯に浸かるのに、音の一つもさせないで、

私の隣に腰を掛けたのだ。

見ると、熊も、猿の旦那さんも、狐に魅入られていた。

猿の奥さんは、顔をさらに赤くして旦那さんをこづいた。

「えぇ、ひ、ひとりで、ずいぶん探して、

 初めて、来ました」

しどろもどろにそう答えると、

狐は嬉しそうに

「そう、人間に会うのは久しぶりだわ。

 せっかくだから、お背中でも流しましょうか」

いたづらっぽく笑うと、白い柔らかい手を

私の肩に掛けた。

そして、もう一方の手で、

彼女の豊かな尻尾を水から上げた。

なんの工夫もされていない温泉に洗い場など特に無いのだが、

私と狐は湯から上がり、

私は側にあった大きな石に腰を掛けた。

狐は湯を手で何度かくみ上げると

尻尾に含ませて、

そっと、私の背中をなで始めた。

「もう、

 こんな場所のことはすっかりと

 お忘れになったのかと思っておりましたよ」

狐は話しながら私の背中を擦った。

「私たちが、こうして、

 一緒の湯に浸かり、

 背中を流し合ったのは

 どんなに昔の事でしょう」

強く、弱く、丁度いい加減で背中を擦った。

「ずいぶんと、ずいぶんと

 昔の事でしたわねぇ」

懐かしそうに呟くと、

両手で湯をすくい、

狐は丁寧に私の背中に掛けて流した。

湯は私の背中で

やんわりと

白い煙を上げた。

私は狐に手を引かれて湯に戻った。

その後、とりとめもなく

楽しい話しをしたことを憶えている。

いくらぬるい湯とは言え、あまりに長く浸かると、

体に良くないだろうと、

私は一足先に失礼すると伝え、湯から片足を出した。

その時

ぶわっと、今までの物とはまるで違った湯煙が立ち上り、

私は思わず振り返り、湯に目をやった。

白い煙の中に幽かに、

体格の良い男性と、

こじんまりとした中年夫婦、

そして、ほっそりとした美しい女性の姿が

見えたような気がしたが、

煙が消えると、

そこにはもう、誰一人いなかった。

しかし、不思議と

恐ろしい気持ちは全く起きなかったのだ。

むしろ、とても晴れやかで澄み渡った心持ちになった。

私はそそくさと脱衣所に向かい

支度を調えると、

行きの苦労が嘘のように

すんなりと宿にたどり着くことが出来た。

ただし、

その後、どんなに探しても

あの温泉にたどり着くことは出来なかったし、

誰の口からも、その温泉の話しを聞くことが出来なかった。

きっと、近頃ではあの湯に辿り着くことの出来た者は

私くらいのものなのだろう。

見つからないからと言って、無いというわけではない。

誰も彼もに忘れ去られてしまうかもしれないが、

ここに、只一人でも、

あの湯の恩恵にあずかった者がいると言うことを

ここに残しておこうと思う。

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つくりばなし への2件のフィードバック

  1. 櫻灯路 より:

        りんこしゃん

     作り話はどんなお話でも楽しいものです。
    僕は今回のお話は、人にはそれぞれ墓場まで持って行く話があると、
    そんな風に感じました。どんなお話でも誰にも話さない、そして
    誰にも分かってもらいたくない、大切なご自身のお話があるのではないか。
    そしてそれがいつしか増幅され、大切な自身の創作に通じるのではないかと。

     私にも、実は同じような体験があります。以前僕はスナフキンとあだ名
    されておりましたが、その時代の「秘するが花」の素敵なお話を持っています。
    木枯らし一番が吹き、一層寒さに向かう折、貴女さまにはどうかお元気で、
    いらっしゃられますように心からお祈りしています。

    • rinkoneko より:

      櫻お兄様→
      お返事が遅くなりました。
      作った話について、とやかく言うのは少し野暮かもしれませんが、
      この話は、毎日「疲れた」とぼやく主人に
      即興で作って聞かせた話しです。
      つまり、主人公は主人かな? 笑
      ひとつひとつに明確な意図を持たせるのは
      好きでは無いので、
      時間の上下左右と空間は
      不確かな湯煙に乗せたつもりです。
      だから、この話しを聞いた人が
      何となくボンヤリと風景をそれぞれの風景を
      思い出してもらえることが
      私としても一番嬉しい
      鑑賞のされ方です。
      あまりにも即興で出来た話だったので、
      思わずルイスキャロルを思い出しました。
      あの話は、アリスに対しての愛が
      とにもかくにも土台の話しだったのですね。
      個人に対する愛情は、大きく見れば人間愛です。
      そんな、抽象的なとらえどころの無さを感じていただければ
      嬉しいです 笑
      寒くなってきましたね。
      お兄様もお体には気をつけて 笑

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