始末する

こんばんわ。りんこです。

主人が新しい職場に移ってしばらく立ちますが、

この新しい職場では

以前全く使用できなかった主人のコレクション状態の

書籍やCDが一気に仕事で使えるようになりました。

そして、さらに言うなれば、

増える、増える。

増加の一途で、処分出来るモノがすっかり見あたりません。

6畳と4畳の生活スペースが

どう動いていいのやらという惨状と化し、

私の家事への執着を無効かする。

だって、床が片付かない上に

それらを仕舞う場所がもう無いのだもの。

それですっかり、家事レベルは低下して

また、物は増え続けるという悪循環。

ゴミ屋敷ってこの鈍った感性が起こす

病のような物なのだろう。

あぁ、モヤモヤする。

最近最も流行っている断捨離も

とりあえず読んでみたが、

どうも、捨てる事に特化するばかりの

その方法には理解を示すことが出来ない。

だって、愛別離苦的な物への執着を

ただ一気に捨てるという好意で断ち切ろうとするんだもの。

おきにいりのもので捨てる事を悔やむのならば、

それこそ、自分の手で始末を付けるべきだと思ってしまう。

お気に入りのTシャツや靴下なら裂いて、ぞうきんや、マットに造り直せばいいし、

本や人形なら、それを使ってくれる人を自分で見つければいいのに。

近所の子供とか、親戚の子供とか、友人とか。

物を買うって事はそう言う事じゃないかと思うのだけれど。

クロワッサンにアンアン。

どちらもマガジンハウスの雑誌。

断捨離って言葉を流行らせようと躍起になっている様に感じられる。

また、「考えない練習」という本も売れているらしい。

とやかく考えないで、食べるときには食べることだけに特化する。

って感じだったと思うんだけど。

まぁ、聞こえはいいかもしれないけど、

考えないという行為は、結局考えないと言うことでしかない。

流行の本といえば、

「もし高校野球のマネージャーがドラッカーのマネジメントをよんだら」

(通称「もしドラ」という)

これも、別にドラッカーのマネジメントを読む為の本ではない。

ドラッカーの本を読んで自ら咀嚼するという行為を

安易に端折る為の本だと感じてしまう。

もしドラの成功で、類似本が多く出ているが、

それらも同じ事。

孫子、ドストエフスキー、チェーホフ。

これらが即座に分かるように歌った本達が

書店に並ぶ。

平成6年に出た

「エコロジー・シンプル宣言 食卓からの50の提案」 小林カツ代、林佳恵

という本がある。

この本でカツ代は自分はずっとノンポリだったという。

だけど、料理研究家として働いてきて、

食について色々考えることによって

その考え方がいろいろな事に応用できる事に気がついたという。

料理とは後片付けが重要だそうだ。

政治や環境についてもおなじ。だという。

この本で言われることの大きな点、

それは、「始末することの大切さ」に尽きる。

『男の人は物を作る現場に関わることが多いですよね。

 機械を作ったり、商品を開発したりとか。

 でも、片づけものをしたことのない人たちが物を作ると

 どうなるかっていうと、

 ゴミがあふれていらないものがたくさん出てきてる。

 この社会やっぱり家事をしなかった男たちが

 大半を占めて動かしてきた社会だから、

 こうなったんじゃないかな・・・と。』

こう、林佳恵さんは言う。

思わず、なるほど。と思ったが、

最近は部屋を片づけられない女性が多いという。

ボボワール的に言えば、ジェンダーは後天的なものだそうだから、

いまの日本社会には男性的な女性がおおいってことかしら。

ま、私もその一人 苦笑

この部屋の惨状から一目瞭然。

平和過ぎたし、何も考えることをしてこなかった

今の日本には

過剰に物が溢れていて、

何も考えないで居ると、

つい、便利とかこつけて

購入してしまう。

断捨離は断つことについても言及していて、

いらない物は入手しないということらしい。

たしかに、私もそれは賛成。

でも、

捨てる作業が

お気に入りの商品を箱にぎっしり詰めて

業者に売り払うだけなら

それは随分愛別離苦が軽くはないか?

しかも、手軽に手放せる分、

即物的な行為に感じる。

煩悩の罪はもっと身にしみて感じないと。

あれ?マゾヒスト的? 笑

あぁ、とにかく、始末。

始末とは始まりと終わり。

間は無いのだ 苦笑

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始末する への2件のフィードバック

  1. 櫻灯路 より:

        りんこしゃん

     今晩和!道元の「典座教訓」の中には、「本務」と「雑務」は同じことだとあります。メンドイことでも、日々多分三時間は掛かっている僕のお料理タイムは、禅風に言えば修行の一つなのでしょう。ですから家族の命を思い致し、序に自分の分まで考えて丁寧にすることにしています。どんなに忙しくても、全く煩雑な時間だと思ったことがありませぬ。妻の実家の近くに「杉本家」がありますが、そのお宅に伝わる「歳中覚」には「始末」という言葉が始終出て参ります。杉本家の教えでは「始末」は使い切ることだと。春大根の皮は切干大根にちょうどよく、今ですと里芋一つが何ていとおしいのでしょう。味噌汁の中に一個か二個入れただけで驚くほど美味しくなるんですから。片付けは決して無理しない。自分の頭の中を整理したい時だけやればいいんじゃないかなぁ!

    • rinkoneko より:

      櫻お兄様→
      あ、見ましたね?辰巳さんの。
      私もにこにこと見ていたのですが、ラスト20分くらいで
      心臓飛び出すかと思いました。
      だって、私の卒論、おもに典座教訓だったんですから!
      お兄様の万葉集の様な位置に、
      私は典座教訓を置いているんです。
      ナズナを摘んでみたり、はこべを味噌汁に忍び込ませたり、
      なんだか、すっかり、辰巳先生に親近感を持ってしまいました。
      と、いっても、私はあんなに丁寧な作業できませんが 苦笑
      いや、アレも、年期かな?日々精進ですものね 笑
      う~、里芋が食べたい!
      今夜は卵とトマトの炒め物です。見切り品で5コ150円の完熟トマト。
      絶品なんですよ 笑

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